2003年06月02日

「現在形」を「習慣形」に改名

辞書に出てくる英語動詞のもっとも一般的な用法を表すためには、英語の「現在形」は反復して行う習慣を表しますので、これから「現在形」を「習慣形」と呼びましょう。
 
 辞書に載っている英語の動詞は、「eat」, 「speak」, 「walk」, 「sing」と「現在形」で表示されているように、日本語の動詞も「食べる」「話す」「歩く」「歌う」と「現在形」で表示されていますが、英語の現在形と日本語の現在形が表す意味が大きく異なっています。
 さらに困ったことに、日本語の「食べる」「話す」という「現在形」の動詞は今「現在」する動作を表します。しかしだいたいにおいて英語の「現在形」は過去から未来にかけて反復して行う習慣的な動作を表し、今「現在」のことを表しません。ですから、「I walk」「I sing」「I speak」などの文章を『現在形』と呼ぶほど、煩わしくて誤った(?)名称はないはずです。
 また、日本人の英語は、『現在形』という誤った呼び名に呪われていますので、英語をマスターしようと思えば、英文法の本や英語の教科書の中の中から、「現在形」を消してしまい、「習慣形」と書き直せば分かりやすいと思います。
 例外はもちろんあります。特に「 like」, 「be」, 「need」, 「want」, 「feel」, 「know」などの「状態名詞」は、日本語と同様、今(ごろ)の状態を表すために、現在形を使い、現在進行形はあまり使いません。だが、存在すること、必要とすることを「習慣」とは言えないにせよ、状態名詞は多く「いつものこと」を表していますから、習慣動詞からそう遠く離れていません。
習慣形(旧称「現在形」)が適正であるかどうかを決めるためには、使用としている動詞が、「状態動詞」であるか「動作動詞」であるか、そのどっちかを見分けることが決定的です。上の図をクリックしご参照ください。
 
他にも例外な用法は稀に見かけますが、まずは「I eat」「I walk」「I sleep」などは「習慣形」だと言うことを念頭に置きながら、このクイズをしてみてください。稀な例外は下記の続きを見てみてください。

下記の例外は発信型の英語を勉強しようと思えば、使わなくてもいいものですが、試験の問題に出てきますから、

1)予定されている電車の出発を「I leave by train tomorrow」などと習慣形で表すことがあります。これも「電車の習慣だから」と思えば「習慣形」だと考えれば差し支えないかもしれません。
2)一般的な事実・普遍の心理は習慣形で表します。この類のものは、「The sun rises in the East」(太陽は東に上る)「Flowers do not bloom in winter」(花は冬に咲きません)が典型的な例です。これらも「太陽の習慣」や「花の習慣」を表していると考えられます。
3)ごくまれに、日本語と同様に習慣形は現在の状態を表すことあります。しかし、「Here comes the bus」はその典型であるように、この用法は繰り返して行う習慣(バスの習慣)がHere(ここ)で起きていることを表すことが多いです。
4)ごくまれに、過去のことを物語るときに習慣形を使いますが、これも相手の典型的で習慣的な行動を表すときに使用されています。

ために、「現在形」よりも一貫して「習慣形」という呼び名を使ったほうが理解し易いように思います。


 

Posted by timtak at 2003年06月02日 12:51
Comments

「現在形」という呼称は確かによくない。習慣形というは良いアイデアですね。

日本語はアスペクトしかない、テンスがない、などと言われています。つまり時間を固定したものとして見る習慣がないのです。話者(あるいは筆者)が頭に描く時間を基準として「完了」しているか「未完了」か、その2つしかない。英語の場合は、現在は(状態の場合)「語られているこの時」です。未来は今より先のこと、過去は絶対、今より前のこと。

日本語ではたとえば、「明日、勉強したら(「た」は普通過去を表すと言われる)遊びに行きましょう」と言うように、未来の中でもいわゆる「過去」が使われる。これは「完了」と考えれば、英語と同じになりますが、、、。つまり日本語には「過去形」が本当にあるのか、というと結構疑問なのです。完了と未完了しかないのではないか、、、。

さて、現在進行形も現在形も、未来形もまたいわゆるam are is going to 原形もみな現在形です。なぜなら主要な動詞(あるいは助動詞)の形が現在だから。しかし、未来形は未来を表す、be going toも未来、進行形も未来を表すことがある、と教わります。

でも、みな現在からこの先を予想する言い方なんですね。本当の未来なんかわからない、今現在、将来を予測する、そのことしかできない。willはもともと意志を表す動詞だったので、意志が意味にくわわることがある。今決めたこと、今将来何をするか決めたこと、がwillで表される(動作動詞の場合)。be going toはgoの意味が「行く」ということですから、もし主語が私なら、私がある状態に進行する、行く、となります。ですから、ある程度予定しているあるいは予定していた行動を表す。そしてbe goingなら、もうその行動を今もしているわけで、未来を表すとは言え、その計画の度合いが高い。そして最後にTimが上の文章の例外1に示した現在形でも未来を表す例。これは軍隊で来週演習があるから参加せよ、なんていう告示なんかに使える。つまり結構権威的に、こう決まっているんだよ、もう変更はきかないよ、と言う感じ。だからまるで現在のことのように現在形で言える。

このように英語では未来を現在形で表しているけれど、それぞれの表現に見合った、いろいろなニュアンスが出せるんだ、とね。日本の英語教育ではこのように教えている人もいるかもね。私はそうやって教えてきました。でももちろん口で説明するだけじゃなくて、例文があって(文脈と共に示す)その上で違いがわかるように示す。

それからフットボールの中継を見てるとね、進行している行為(選手の動き)はみな現在形で語られますね。アナウンサーは現在形を使う。全部動作動詞なのにね。進行形は使わない。これも目前の行動を現在形で表す例で、これは「習慣」とは言えない。なぜなら、選手の動きは一回限り、習慣じゃあない。

このように、一回限りで、習慣ではなくても、その場で瞬間的に終わる動作は現在形で表しますね。

それから日英語の大きな違いで、私が今でもなれないのは、過去のことを話している時にイギリス人は現在形を結構使うこと。日本語では一貫して過去の形(た)を使う。英語母語話者は、過去のことでも今のことのように現在形で話す。これがどうしても真似できない。日本語の感性が抜けないからだと思う。またこれはアジアの人、中国人なども同じで、過去形を使うことが多いように思う。

これは母語の理屈と合わない例だね。

Posted by: Toru Tadaki at 2003年06月08日 18:40

むしろ、いつもの習慣、あたりまえのこと、命令、説明に現在形が使われるのは日本語と英語で違いがないのでわざわざ「習慣形」というより日本語と同じだと説明すべきでは?このどれでもないのは「いまからのこと」を表す場合くらいである。実はそれも日英おなじなのである。理由は、現在の国語文法では言葉のみかけだけで呼び名が決められているのに対し、英文法では動作がいつであるかに基づき決められているからである。未来の動作を「未来形」と呼ぶよう改めるだけで英文法とうりふたつになる。たとえば、「かれは行く」という場合、絶対に今ではなくいまからであり、だからこそ英語にするとHe will go.なのでは。

Posted by: 青木徳夫 at 2004年01月15日 22:41

同じ機能があればぜひ同じ言葉で表したいです。何よりの問題は英文法と国語文法では、非常に似ているような機能をもっているものが、それぞれ別の言葉で呼ばれている。例えば「前置詞」と「格助詞」。どれかに統一した方がよいと思う。でも、まぁ、おっしゃる通り共通している部分が多いかもしれません。ただ、

1)英語を教えているといつも学生が近未来、今からのこと、本当に意味のことを表すためには現在形を使ってしまう事が非常に多いです。いや、学生はいつも現在形を使おうとしている。過去のことについても未来のことについても現在形ばっかり。日本語ならけっこうそういうこともできますが、「現在形」が特殊だという意識をもってほしいです。

2)この機能がない英語の現在形は、それほどつかわないものだと感じる。そこで、あえて、いわゆる現在形を「習慣形」としています。

あとは赤木様が示す共通点ですが、ほんとうにそこまで共通しているでしょうか?

1)「命令」はちょっと文の構造が違うので、区別されると思います。私の学生はあまり人を命令していませんし。でも命令しようと思えば、主語がないということで、命令形は別腹みたいです。

2)「あたりまえのこと」には何がありますか?"The sun will come up tomorrow."はあたりまえのことですが、現在形では表さないです。「あたりまえのこと」が状態であれば、たしかに「現在形」でいいですが、学生もけっこう自分のなかで状態動詞を区別しているようです。つまり、状態動詞で表される「あたりまえのこと」も別腹みたいです。

私がいくら「現在形が習慣形だ」と言っても、The earth is roundなどをThe earth was roundとかと言おうとしません。むしろ、まだまだ現在形を使いすぎています。

。。。同じなら同じ言葉を使いたいですね。

Galileoの方ですね。

Posted by: timtak at 2004年01月15日 23:03

「あたりまえのこと」はwhat is taken for grantedという意味で書きました。The sun will come up tomorrow.という表現はたとえば大隕石が地球に近付いていて、もしかすると明日は日が昇らないかもと本気で心配している人を元気付ける場合にしか使われないように思いますから、「あたりまえのこと」にはあたりません。The sun rises from the east.なら、「あたりまえのこと」にあたります。日本人は、たいてい「現在完了形は近い過去、未来形は明日以降のこと」などという大きな誤解をしています。教え方が間違っているのと、日本語文法解明自体が殆ど未開の状態なのと、日本語文法用語が英文法用語in Japanese!と不必要にdivorceされているせいだと思います。日本語文法を英文法用語で説明するだけでずいぶんよくなると思うのでやってみようと思っています。

Posted by: 青木徳夫 at 2004年01月16日 23:33

屁理屈かもしれませんが、"The sun will come up tomorrow"(Google hits 1400)や"The sun will rise tomorrow" (Google hits 4140)は確かにあまり実用性がないと思いますが、あたりまえのことを表す慣用句として使用されています。大隕石が接近していれば、「明日太陽は昇る」というのはあたりまえのことではないでしょうが。

いずれにせよ、私が教えている学生は文法用語を使うと眠気が差すようですが、それはおっしゃる通り(?)文法は日本語からdivorceされています。そこで、日本語文法を英語で説明するお試みは、大いに役に立ちそうだと思いますので、成果をお知らせください。

5文型廃止論」は今となって自分でも半疑ですが、日本語と英語の文法の共通性に基づいた説明が必要だという精神が貫いています。

日本語で書かれている英文法の本を読んでいると、「英語はまるで火星人の言語だ!」と思わせられます。

私も日本語を勉強し出して3年目、まだ全然話せなかったころ、「天声人語」を講読しながら、「どころか」「ものの」「ところが」「いわんや」など日本語文法の珍味を教えてもらったつらい経験がありました。「そんなのはとりあえず(?)要らんじゃ」と分かるまでに長い年月がかかりました。


Le pire etait mon education de la langue francais. J'etudais francais pendant peut etre 6 annees mais je n'ai pas pu parler un mot, (de toute facon comme mes eleves japonais). Bein sur, Je ne suis pas cormorant en francais. C'est sur! Mais, apres de avoir mes experience ici au Japon, je me suis rendu compte que les langues etrangers ne sont pas tres difficile si on n'as pas peur de faire les mals(?! C'est a dire, "mistakes" en anglais.) et il n'y a pas necessite' de savoir beacoup de la grammaire.

注 今でも「いわんや」など使えないと思います。

Posted by: 武本ティモシー at 2004年01月19日 10:34

火星人is putting it mildly. I believed when I was in high school, English was something like math or ,at best, a language of insects or bacteria. Then I entered Tokyo University where I found that it was not much different from Japanese when I learned French which is quite similar to Japanese. I found that "avoir" is "aru" and "etre" is "iru" given that they are equally the verbs that mean existence and that they form perfect tense as auxhiliary verbs, this for intransitive verbs that for transitive verbs. This was a very big discovery for me and might also be for linguists since I have yet to come across such theory. Since then, I have felt I might be a born linguist. Such mecanism appears to be believed to be the hallmark of the Indo-European languages.
ついでにいうと、山口弁の「しちょる」はhave done, 「しよる」はis doingです。

Posted by: 青木徳夫 at 2004年01月19日 23:24