2004年01月21日

発表と正解

宮崎先生はコミュニケーション中心教育をつぎのように簡潔に纏めました。「The main principle is, not that the instructor teaches them something, but that the participants learn something through using English by/for themselves. Do you and I share the same principle? If so, it's tremendously easy to work.」

まさに、おっしゃる通りだと思います。コミュニケーションを中心とした教育法では、「先生が生徒に何かを伝える」とか、「先生は正解を持って学生がそれを取得するのが授業の目的である」とか、という従来の授業のあり方から抜け出すのが非常に難しいです。難しいのは教師にとっても学生にとってもだと思います。

学生は「じゃ正解は教えてよ」という願望が残るようです。高校卒まもない学生は「我々はこの授業から何を持って帰ればよいですか」という疑問が最初は残ります。先生か教科書からの宝ものなる知識が得られると思っているからです。だが、彼らが得られうる宝物というのは、先生がおっしゃるように「Using English」にありますよね。

正解はなく練習に意味がありますので、従来の「知識階層説」「正解がある説」を捨てていくのが非常に難しいです。私は例えば、教卓が残っていればまだ学生は正解を待ってしまうので自分の授業では決して教卓を使いません。

English Speakingでは、

テキストの内容(アルバイト・映画の好みなど)は決して理解してほしいものではありません。重要なのは学生がたくさん英語を発信し、おっしゃる通り「learn something through using English」英語を使うことによって英語が身につくということです。

そこで「main points/prominent or salient features」(宮崎先生が書いた質問)は絶えず小集団(二人)の中で集め、絶えずつぎつぎと回って次の学生と交換しています。これは「発表」「根回し」形式の情報集め方です。

クラスの前で「発表」することは、私の授業では成功できませんでした。その理由を要約いたしますと

1)学生にとってストレスです。

2)発表を待っている時間が非常に多くなります。
  ペアだと学生は授業時間の半分・3人だと授業の3文の1、発表だと授業時間の15分の1になります。「発表」となりますと非コミュニケーション  的な日本語対話時間・原稿作り時間・躊躇時間が生じますので、その  割合がさらに低下するのが私の経験です。

3)発表は「正解がある」ということを思わせ、知識贈与授業・正解あり授業という従来授業形態の雰囲気をかもし出すと感じます。

コミュニケーションである対話を「chatting」とおっしゃればどうもまるでそれほど重要ではない活動のように聞こえてきますが、その「chatting」(コミュニケーションする機会)が授業から得られる最大の目標だと思います。

前回のメールで申し上げたように、クラスの前で発表することにも意味があると思っています。次のメールでは多様性について書きますが、それ以上にも発表することは自分の能力を誇示する場・自分を試す試練・クラス全体からの承認を得る場でもあります。そのために授業がうまく行って学生がたくさん対話していれば、(宮崎先生が書いたような質問)を学生に聞いて皆の前で発表してもらっています。私が使っているこの小発表の方法特に教科書に載せる必要がありません。

先生には、コミュニケーションの促進となった「発表形式課題」がありましたらぜひご紹介ください。本当にいたらないものですが、小生には残念ながらありません。

昔はよく発表させようとしましたが。。。汗もまた冷や汗の連続でした。

Posted by timtak at 2004年01月21日 01:27
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